このページでは最新CMや、長い間愛され放送されているCMの
- 俳優さん
- タレントさん
- アーティストさん
について気になる情報をまとめていきたいと思います。
今回のCMは2024年7月12日から放送されているのシャープAQUOSR9のCMです!
現代の技術に驚くばかりです。
昭和の宝であるあの俳優さんが、令和のCMに登場します!
最新スマホを手に、渋く語る姿を注目しながら見てみてください!
実際のCMはこちら↓シャープ AQUOS R9「本当のこと」篇です。
喫茶店でカップをを片手に、スマホを見る男性が登場。
「本当のことが言える奴、減ってない?」
そこに鳴る“ピンポン♪”の着信音。
「お前だよ。」と渋い声が印象的です。
足の長さに驚き!!
ご存じの方も多いと思いますが、この男性はあの昭和の名俳優さんですね。
今もこうして映像作品で見ることができるなんて、感動です!
AQUOS R9のCMに出演している俳優は誰?
そうです、今回のCMに出演していた男性は松田優作(まつだ・ゆうさく)さんという俳優・歌手さんでした!
うなだれていてもしょうがない。自分はできると信じ込め。もっと前を向いて生きろ。生きてることは楽しいことなんだ#松田優作 pic.twitter.com/nv8isj0zez
— すずきかずたか (@suzukikazutaka1) July 3, 2024
亡くなってから35年(CM放送時点)の年月が経った今も、色褪せない圧倒的なオーラ。
世代や性別関係なく、多くのファンを魅了している素敵な俳優さんです。
永遠のかっこよさ…♡
松田優作さんのプロフィール
名前 | 松田優作(まつだ・ゆうさく) |
生年月日 | 1949年9月21日 – 1989年11月6日 |
関係事務所 | セントラル・アーツ、オフィス作 |
出身地 | 山口県 |
大学 | 関東学院大学 文学部中退 |
身長 | 185cm |
血液型 | A型 |
昭和を代表する、名俳優の松田優作さん。
その生い立ちは複雑なもので、映像で見る松田優作さんからは想像できません。
韓国人のお母さんと、日本人のお父さんの間に生まれましたが2人の異父兄がいるそうです。
兄弟仲は良かったそうだよ。ちなみに“保護司”をしていたお父さんは身長が180cmくらいあったんだって!
松田優作さんが長身だったのは、お父さんから受け継いだものなのでしょうね。
地元下関の小中学校を卒業した松田優作さんは、高校も下関の学校に入学するも
お母さんに「アメリカに行って弁護士になりなさい」と言われ2年生のときに中退します。
不本意ながらも、アメリカ国籍を得るために渡米するよ。
カリフォルニア州のシーサイド高校に入学しますが、生活がうまくいかず無断で中退したとか。
ところが、渡米したことは無駄にはなりません。
現地で観たアングラ劇団の「ラ・ママ」に感銘を受け、お芝居に興味を持ったそうだよ!
こうして日本に帰国した松田優作さんは、俳優の道へ突き進んで行きます。
ここで、松田優作さんの経歴について見ていきましょう。
松田優作さんの経歴
時期 | 内容 |
1971年 | 劇団「新演劇人クラブ・マールイ」に入団 |
1972年 | 文学座付属演劇研究所12期生として入所 |
1973年 |
|
1976年 |
|
1981年 | セントラル・アーツに移籍 |
1986年 | 映画「ア・ホーマンス」で映画監督デビュー |
1988年 |
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1989年11月6日 | 膀胱がんの腰部転移により40歳で死去 |
2000年 |
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2014年 | 「オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優」で日本男優6位 |
1971年に劇団『文学座』の入所試験を受けるも、一次の筆記試験で不合格になってしまった松田優作さん。
お芝居をあきらめられず、劇団『新演劇人クラブ・マールイ』に入団します。
ここで、最初の奥さんになる松田美智子さんと出会っているよ!
その後、『文学座付属演劇研究所』に入り役者に専念するため大学を中退します。
ドラマプロデューサーだった岡田晋吉さんが新人俳優をさがしていたところ、
松田優作さんを紹介され稽古場に行くと、迫真の演技に度肝を抜かれたといいます。
これをきっかけにあの有名なドラマ「太陽にほえろ!」のレギュラー出演が決まったよ!
殉職シーンが話題になったね。
その後、松田優作さんは日本国籍を取得するため当時の奥さんの松田美智子さんの家の養子になりました。
それと同時に『松田優作』という名前が本名になっています。
つらい時代を過ごしたことがあったんだね…
1976年に歌手デビューを果たした松田優作さんは、音楽活動に夢中になり
ドラマ「探偵物語」では自分の出演場面を減らした回もあったとか。
熱中するととことんやり抜くタイプだったようです。
熱い男だね!!
1986年の映画「ア・ホーマンス」では制作途中で監督と作品の方向性に関して意見が食うという出来事も。
松田優作さんが降板するのかと思いきや、降板したのは監督のほうで
松田優作さんはなんと自分でメガホンを取り映画を作ってしまいました。
す…すごい!
この映画が最初で最後の監督作品なんだって。
松田優作さんの出演作品について見ていきたいと思います。
- 「太陽にほえろ!」(1973年)
- 「赤い迷路」(1974年)
- 「俺たちの勲章」(1975年)
- 「夫婦旅日記 さらば浪人」(1976年)
- 「大追跡」(1978年)
- 「探偵物語」(1979年)
- 「新・事件 ドクターストップ」(1982年)
- 「熱帯夜」(1983年)
- 「新・夢千代日記」(1984年)
- 「華麗なる追跡 THE CHASER」(1989年) ほか多数
- 「狼の紋章」(1973年)
- 「竜馬暗殺」(1974年)
- 「暴力教室」(1976年)
- 「人間の証明」(1977年)
- 「最も危険な遊戯」(1978年)
- 「蘇える金狼」(1979年)
- 「探偵物語」(1983年)
- 「それから」(1985年)
- 「華の乱」(1988年) ほか多数
- マンダム「GATSBY(ギャツビー)」(1985年 − 1988年)
- キッコーマン「トライアングル」
- 麒麟麦酒「キリンライトビール」
- 日本ビクター(現:JVCケンウッド)
- サッポロ飲料(現:ポッカサッポロフード&ビバレッジ)
- グンゼ「The GUNZE」 ほか
※亡くなった後に作られたものもあります
- 銀次慕情(1976年)
- Uターン(1978年)
- 白昼夢(1980年)
- ブラザーズ・ソング(1981年)
- 夢・誘惑(1981年)
- ワン・フロム・ザ・ハート One From The Hear(1985年) ほか多数
※アルバムも多くリリースされています
松田優作さんは役になりきるあまり、撮影のために
- 10kgもの過酷な減量をする
- 奥歯を4本抜く
- 山籠もりをしてとことん集中する
- 共演者やスタッフと大喧嘩をする
など破天荒ぶりも目立ちました。
それだけお芝居に情熱を燃やしていたんだね。
デビュー当時はアクション俳優として注目されていた松田優作さんですが、
演技に対して勉強熱心で個性派俳優として役の幅を広げていきました。
カリスマ性もあり、松田優作さん本人や演じるキャラクターになりきる若者も多くいましたね。
でも普段はファッションに無頓着で、ほっておいたらおかしな見た目になるくらいだったんだって!意外だよね。
そんな松田優作さんですが、1988年にがんが見つかります。
診断結果を信じられず、次々と医師を変え延命治療を拒んでいたといいます。
治療をしないそのあいだも病状は悪くなり、それでも撮影を行っていた松田優作さん。
奥さんの松田美由紀さんは「今は癌ではないが、放置すると癌になる」と説得してくれるよう頼んでいたそうだよ。
残念ながら1989年にこの世を去ってしまった松田優作さんですが、
現在も人気は衰えず、亡くなってからもこのように映像作品に出演するほど。
今も、そこに存在しているかのようです。
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AQUOS R9のCM出演の俳優 まとめ
今回のCMは2024年7月12日から放送されているのシャープAQUOS R9「本当のこと」篇でした。
出演されていたのは松田優作(まつだ・ゆうさく)さんという俳優・歌手さんでしたね。
複雑な家庭で育った松田優作さんでしたが、不本意ながらも渡ったアメリカで
お芝居の魅力に引き込まれました。
帰国後は俳優の道まっしぐら!
どんな役にも全身全霊でなりきり、とことんこだわる役者魂が見る人を感動させました。
演技に一切の妥協を許さず、自身の哲学と信念を貫いた松田優作さん。
今も私たちの心に生き続けています。
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